天野屋の遺構 地下ムロ 初公開画像

平成3年に幕を閉じた江戸中期の地下ムロの記録写真です。煉瓦積みの部分はのちに補修した明治期の煉瓦です。江戸期には煉瓦は有りません。この映像は撮影の為に蝋燭で灯りを取り、幻想的に撮って見ました。シャッター開放の長時間露光で撮影しました。周辺の壺は甘酒を入れて売っていた名残の壺です。(益子焼)
これから時代を少しさかのぼり、当時の地下ムロ探検にご案内致します。

此処の煉瓦は大正期の煉瓦です。関東大震災の際に崩れた部分を煉瓦で補強してあります。先ず入り口で二又に別れています。

入り口付近の二叉を左に行った方のムロです。一人で入るのはかなり怖かったです。夜に糀の手入れに入る時にオカルト物を見てから入るのは背中が怖くて嫌でしたが仕事なので仕方が有りません。幽霊なんている筈は無いのに一人このような地上から隔離された地下空間は実に恐怖です。この素掘りの部分は江戸中期のままの状態です。白く土に付いているのは糀の酵母です。何百年と生き続けています。

総面積が約90坪。約幅2.5メートル・高さ1.5メートルほどで、総延長は200メートルほど有ったかと思います。

枝分かれ地点。突き当たりの土に、掘った人の名前のような字が彫り込んで有りましたが、年代が年代だけに目では見えますが、写真で撮ることは不可能でした。

小学生の頃、この辺で蝋燭を百本立てて、心霊百話をしたものです。とても怖くて蝋燭3本ほど消した所で退散しました。無音の世界で、ジットしていると心臓の鼓動が耳に響き実に恐ろしいです。

煉瓦積みが実に美しかった。この辺りの煉瓦は明治期のものです。中は迷路のように枝分かれしています。

画像真ん中辺りに、長方形の穴が有ります。この穴は此処に煉瓦を差し込み、その上に灯明皿を載せて油を入れて、山吹の芯に火を点けて灯りを取りました。その名残です。

また枝分かれ地点。チョット撮影に凝って見ました。明るい所は向こうから照明を点けて画像にメリハリを付けて撮ってみました。何せムロ、最後のお別れの写真ですので(;>_<;)

灯明皿がそのまま残っていました。

この先が出口です。

大部分が敷地外にムロが有った為に、現在はこの少し先で分断され埋められて仕舞った。敷地内のムロは未だ健在です。


以前の発酵室です。糀が並んでいます。ここは糀の発酵熱で大変に蒸し暑く、糀が酸素を大量に吸うので酸欠に成ります。右の配管は酸欠を解決する送風管です。江戸時代は竹をパイプにして繋ぎ合わせ、フイゴで空気を送り込みました。
天野屋の地下探検は如何でしたか!この画像は初公開画像です。フィルムスキャナーを最近購入したので皆様にご覧にいれる事が出来ました。また先祖代々お仕置きはムロに放り込まれました。押し入れなんて全然怖くなかったですが、此処はもの凄く怖いです。子供で無くても怖いのですから・・!

★ これらの写真のネガ・明治37年の地下ムロ図面・昭和9年の図面・天野糀店の看板等は東京江戸博物館に寄贈 時々展示されているようです。
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