小林傳次郎作 オルゴール付 枕時計

科博に行きたかったもう一つの理由は、この小林傳次郎の枕時計を見たいが為です。しかしガラスケース越しでは内部も見ることは出来ませんし、せめて曲目位は公開して欲しいものです。幾ら幕末の天才、小林傳次郎でもオルゴールまで製作出来たとは思えません。また日本初の試作のオルゴールはバケツを叩くかのような酷い音だったようです。
明治、大正、昭和初期のオルゴールはすべてスイス製です。国産の時計のオルゴールのムーブメントはすべてスイスに和曲の楽譜を送りスイスで製造していました。明治40年代の精工舎のカタログでは「譜は流行を追い新調子を選ぶ」と言う言葉があります。当時流行にあわせて和曲の楽譜をスイスへ送り、スイスで「蛍の光」「桃太郎」「鉄道唱歌」などのオルゴールが作られていた姿を想像すると不思議ですね。
精工舎は、このスイス製オルゴールを使った角形オルゴール時計を「服部の歌時計」という名で販売していました。精工舎以外の他の時計メーカーもオルゴール時計の販売に追従しましたが、通産省の調べでは明治〜大正にかけて販売されたオルゴールはメーカーは不詳ですが、すべてスイス製です。時計の国産化は実現し成長したにもかかわらずオルゴールが何故日本で製造されなかったか?単に細密機械技術の他に櫛歯を作る金属加工、熱処理技術の未熟が有ったからです。また部品まで含めて国産オルゴールの研究が始まったのは昭和10年頃、欧米から帰国した銀座資生堂の松本昇社長がオルゴールの将来性に着目し、万年筆メーカーの加本泰一に制作を依頼した。昭和16年加本は「亜細亜精機製作所」を東京、江戸川に創設し国産オルゴールの開発を始めた、研究の末完成した36弁のオルゴールは資生堂に納品されたが、これはスイス製オルゴールを分解し部品を活用して作ったとも見られるが、残念ながら太平洋戦争に突入して計画は中断されて仕舞った。戦後、新しい産業であるが故に櫛歯の材質、熱処理法、調律など難問が行く手を拒んだ。徹底的な研究の末、材料や熱処理の方法は解ったが、実際に製造すると酷い変形が生じ、乱れ櫛歯で使い物に成らず、技術指導にスイスのメーカーを訪れたがむげなく断られ、結局自らの力で考え、櫛歯の調律はハーモニカメーカーに依頼したが、真鍮のリードを削るのと鋼を削るのでは差が有りすぎ、わずか3日で断られたという。こうして何もかも手探りの状態の時代で有ったが、昭和22年に吉田義人が東京オルゴール株式会社(後の東京ピジョン)を新設し、翌昭和23年12月24日オルゴールの国産第一号が完成したと言う事です。
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